今のソフトウェア産業のために教育以外の巨額の初期投資は要らないのでは?

現在、世界中で、経済や金融のシステムが行き詰まりを見せています。一個人の生活者として、やはり不安を感じざるを得ません。そこで、自分としても、少し考えを巡らせてみました。
私は経済や金融に関しては門外漢ですので、この記事の内容も怪しいものですが、自分の考えをまとめてみるために書きました。もし、これが反面教師にでもなって、逆にどなたかの
お役にたてれば、望外の喜びです。では、はじめてみます。


いまの金融システムの誕生を考えますと、資本主義がベースでなっており、では何のための資本主義かというと、生産者が生産活動を行うための道具には巨額のお金がいるために、資本家に金を借りたのだと思います。
なんで道具に巨額の金がかかるようになったかというと、産業革命以来、工業製品を作るために大型機械が必要になったからです。そして、工業製品を売って、利益をあげ、資本家に還元するという仕組みだったのです。
巨額の初期投資をして、それをもとに生産活動をして、価値を生み、利益をあげることが資本主義の根本にあると思います。




そこで、現在の状況を考えてみると、このような金融システムや資本主義の前提条件がかなり壊れ始めていることがわかります。私が指摘できるだけでも、2つあります。
1.巨額の初期投資を前提とした経済金融システムの崩壊?
2.生産者のための金融ではなく消費者のための金融の導入による金融システムの崩壊?

まず1ですが、産業の中心がソフトウェアやサービス産業になってきました。
巨大な生産用機械が必要なくなり、個人のアイディアでプログラムを書くだけでネット上にサービスを立ち上げてビジネスができる時代になりました。
巨額の初期投資が必要な工業のための金融システムがうまく機能しなくなるのも無理はありません。

次に2ですが、生産者が生産活動をするための、資本主義です。消費者が消費活動をするために資本主義が生まれてきたわけでは何と思います。
消費は消費だけでは価値を生まず、その消費によって、人が能力を高めるとか、やる気を出して仕事に励むようになるとか、気分がよくなって仕事がはかどるとか、
生産活動にプラスになるから消費活動にお金を投資してもらえるというのが原理原則ではないでしょうか?

1.インターネットや情報産業の台頭により、1が崩壊したでしょう?
2.これの象徴が、サブプライムローンだと思っています。



では、現在の現実の世の中はどうなっているでしょうか?

特徴的なことは、「個人生産者の台頭」だと私は思っています。個人で生産して個人で事業を起こす人が増えていくでしょう。
ソフトウェアやサービスはこうした個人事業に最適です。
農家だって、町工場だって、この範疇です。

そして、この時に必要なのは、「個人の生産活動に必要なソフトウェアのための初期投資」でしょう。
ここでいうソフトウェアとは、プログラムソフトウェアではありません。スキルやモラルのことです。
個人の生産能力の向上のために、そしてスキルやモラルを向上させるために、個人に投資するという金融システムです。
実は、日本でも教育への投資はたくさんなされています。また、アメリカなどでは、ベンチャーキャピタルのように、個人の能力に対して投資するシステムがあります。
日本に足りないのは、ベンチャーキャピタルのような、「大人や社会人の能力や生産性向上のための個人への投資」です。

このように考えると、高齢化社会もそれほど悲惨ではありません。高齢者の価値もソフトウェアにあるからです。
知恵や経験といった貴重なソフトウェアには、積極的に投資してもよいのではないでしょうか?

経験、知恵、スキル、モラルといった、個人の能力に投資する、そして、その巨額な初期投資の対象として教育がある。
こんな経済・金融システムができてもよいのでは?と思います。

そして、その際に一番重要なのは、「ソフトウェアの価値の目利き」の能力です。
個人の経験、知恵、スキル、モラルが、その社会や組織において、どのような価値を持つのか、
自分の尺度で判断できる人が必要でしょう。
古道具のように目に見えるものでもないので、なかなか大変な作業になります。
企業において、人事採用担当者の判断能力が問われる時代にもなったといえます。

そして、この先に見えるのは、真に個人が自由な社会です。
個人が生産、個人が消費、個人で判断して、個人が責任を持つ。

これが、真に自由な社会ではないでしょうか?


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