源氏物語を思ふ

昨晩、源氏物語を扱った、歴史秘話ヒストリア「わたしが愛した光源氏〜“源氏物語”女たちのドラマ〜」を拝見しました。妻も源氏物語にたいへん興味を持っており、一緒に見ました。私は、一応専門は理系なのですが、理系の人間にとって、源氏物語は、こんな風に見えるということを少し書きたいと思います。


まず、源氏物語を学校で習うのは、高校の古文の時間ではないでしょうか?もちろん、歴史の授業で、小学校の時から、紫式部という人が平安時代源氏物語を書いた、という事実は習うのですが、中身に接するのは高校の古文の時間です。歴史を習っているときは、全くわからず、きっと難しい内容の話なのかなあ、みたいに思っているのですが、読んでみるとなんとなんと、すっごーくエロい話ではないですか!恋愛話で、高校生にとってもとっても刺激的な内容で、びっくり!しました。16禁?なんでしょうか?(笑)。高校生のころ私は、オペラにはまっていましたが、光源氏は日本版ドン・ジョバンニと思っていました。しかし、モーツアルトドンジョバンニを作曲したのは、1787年。カサノヴァの自伝である「我が生涯の物語」(いわゆる「カザノヴァ回想録」)がおよそ1800年頃の話です。源氏物語は、それに遡ること800年。日本の古典のすごさに驚いたものです。さらに、高校では漢文を習い、白居易の書いた「長恨歌」は、さらに200年遡って、800年前後。中国のさらなるすごさに驚いたものです。白居易李白がいなかったら、楊貴妃の美しさも半減したでしょう。ということで、古典のエロさに圧倒されたものです。


さて、ここからが理系のさびしいところで、受験が近づくと、源氏物語は理系の入試に出ない!ということで、理系の受験のために古文を読むようになります。紫式部のライバルである清少納言枕草子。今昔物語や、その補完である宇治拾遺集。こういったエッセイや小話を読むようになりました。唯一恋愛ものだったのが、伊勢物語在原業平をモデルとしたお話にドキドキしたものです。ちなみに、冬になって風邪をひいておかゆを食べるときにつかう行平鍋。これは、在原業平の兄の在原行平が愛用していたからだという説があります。
そうして、大学に入った後は、やっぱり理系の勉強が忙しく、なかなか源氏物語を読む時間を作ることが難しくなってしまいました。


湯川秀樹先生の自伝「旅人」を読んでいますと、たしかお母様が「源氏物語はおみおつけのようにおいしい。」とおっしゃったというようなことが書いてあったと記憶しています。湯川先生ご自身も、西宮にお住まいで、大阪大学の講師として大阪まで通っていらっしゃったとき、電車の中で、源氏物語をお読みになっていたようです。ちょうど、ノーベル賞の対象となった中間子理論を考えておられらころです。



理系文系とわず、人間であれば、どうも源氏物語には心を惹かれるのだと思います。


最後に、ちょっとだけ思っていること。試験問題で、紫式部に特徴のある言葉「いとあはれなり。」、清少納言の「いとおかし。」なんていうのを答えさせる問題が出たりします。なんでも、紫式部は「いとあはれない。」、清少納言は「いとおかし。」で済ませてしまいます。これって、きわめてボキャ貧だと思いませんか?現代でも、「超ヤバイ」、「やっばーい」で済ませてしまうのと同じと思います。ですから、特に清少納言の「いとおかし。」を現代語に訳すと「超ヤバイ」や「やっばーい」でいいと思います。ただ、文脈や状況に合わせて意味を考えると「超ヤバイ」は、「とってもおいしい」「とってもかわいい」「とっても美しい」などの意味を持ちます。「いとおかし」も同じですね。ですから、「いとおかし」や「いとあはれなり」も同様に文脈を考えて意味を分かりやすくして書いておけば点数がもらえるのです。


結局、文脈、コンテキストの話に落ち着いてしまいました。反省。


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