忠臣蔵と坂の上の雲から老後を考える

今日は赤穂浪士の討ち入りの日です。忠臣蔵は日本でもとても人気のあるお話ですね。江戸時代、5代将軍徳川綱吉の時代、太平の世の中のお話です。江戸に勅使(京都からの天皇のお使いの方々)が下向なさいました。勅使の接待をするために、2人の地方の若い大名が召集されました。その中の一人が、播州赤穂藩主の浅野内匠頭です。もう一人は、伊予吉田藩主の伊達村豊です。江戸では、吉良上野介という年寄りの教育係がいて、接待の仕方をこの若い大名たちに教えるのです。そこで、浅野内匠頭が、いじめとも、パワハラともいえる仕打ちを吉良上野介から受けるわけです。堪忍袋の緒が切れた浅野内匠頭江戸城内で、吉良上野介に切り付けます。吉良は絶命せず、浅野内匠頭切腹赤穂藩はとり潰しになり、赤穂藩の武士たちは浪人になります。さまざまな苦労の末、有志の浪人たちが吉良邸を襲い、吉良上野介を打ち取ります。世の中は騒然となり、主君の仇を討つとは武士の鏡!、いや、幕府の仕置に楯突くのはとんでもない悪人だ、いやいや、自分たちの次の就職先を得るためのパフォーマンスだ、などなどの意見が飛び交います。綱吉は悩みに悩んだ末、この浪士たちを切腹させるのです。


まあ、あらすじはこれくらいにして、今日は、この物語の本質が、吉良上野介が老人であったことの悲劇を考えてみたいと思います。そこで、浅野内匠頭吉良上野介の立場を、年齢だけを逆転させて、あとはそのままで考えてみましょう。吉良は、江戸で先祖代々接待の仕事の教育をしている家の、若い御曹司。そこへ、田舎大名の浅野がやってきて、教育してみたもののちっとも上達しない。頭にきたので、ちくちくいじって、ときには罵声を浴びせる。老人浅野は怒りまくって刀を抜いて吉良に切り付けたものの、吉良は死なず、老藩主は切腹の上、家はとり潰し。− これでもやっぱり老藩主の家臣の有志たちは、吉良を討とうと思うのでしょうか?
こうして年齢だけをひっくり返してみると、実は、実際の吉良は、年寄りというだけで、ずいぶん損をしていると思うのです。


これが、今、私が「老人になるのが怖い」理由の一つです。


では、老人はどういう風にふるまうか?先日、「坂の上の雲」を見ていて思ったのです。児玉源太郎乃木希典に代わるべく旅順に赴く、例外中の例外をゆるした、大山巌。私には彼がとてもかっこよく思えました。大山は児玉が説明して決断したことをきき、「あとは自分が責任をとるから、やってこい!」と即決。そのあともいろいろと環境を整えてやります。結局これが旅順攻略につながるのです。では、大山は何をしていたか?これだけの窮地にありながら、敵将から奪ったベッドに寝転んだり。でも怒鳴ったりはあまりしない。いつも穏やか、ほのぼの。これだけの窮地にありながら、平常心を忘れず、即決即断。ドラマだからかもしれませんが、見ていて感激しました。こういう老人になりたいと思いました。もちろん大山巌は、元帥で非常に地位も高く有能な方です。私など全く足元にも及ばないような大人物ですが、せいぜい家の中でにこにこ。なにか起こってもあわてずさわがず。そしていざというとき即決即断。こんな老人になりたいと思いました。


まあ、忠臣蔵も、坂の上の雲も、NHKのドラマから得た知識がほとんど。いいかげんですが、「"本で歴史を読んでも自分がこうなりたいとも考えない"よりは、"ドラマの不正確な情報からベストプラクティスを見つけ自ら実践してみる"方が役に立つ!」と言い訳して、今日は許していただきたいと存じます。


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