倉科の翁の経済論

今年の夏休みに、長野県の千曲市(旧更埴市)の倉科へ妻とともに旅行しました。結婚するまで私の本籍はここにありましたし、先祖の墓がここにあります。結婚の報告ということで、先祖の墓を詣でました。夕方、市の公民館にある浴場へ行った時のこと。風呂場で体を洗っていると、おじいさんが話しかけてきてくださいました。伺ったところお年は90を超されているとのこと。それにしてはお元気でびっくりしました。そして、お話下さることは現在の経済について。普通の田舎の山奥のおじいさんとは思えません。新聞や本をお読みになって日々勉強されているとのこと。曾孫さんが、ここから横浜まで毎日通勤なさっているとのこと。軽井沢に出て、新幹線で東京を経由して横浜まで通っていらっしゃるそうでびっくりしました。経済状況が悪く、雇用問題をご心配なさっておられました。そして、今の経済の低迷の原因について、このように一言おっしゃいました。

すべての元凶は優秀な中国人を安く働かせたことにある。

なるほど。このお言葉を私なりに検証したところ、確かにそうだ!と思うに至りびっくりしました。
バブル崩壊リーマンショックと経済の低迷が続き、もはや景気循環論は通用しなくなりました。なぜこのようになってしまったのでしょうか?ちょっと考えてみましょう。

1990年ころに東西の冷戦が終結しました。これにより、資本主義社会の側でも緊張感がなくなり、軍事などの産業もホッと一息ついた感じで、投資がひと段落したと思います。日本ではそれを不動産投機に向けて経済発展を維持し、それが行き詰るとバブルが崩壊しました。投資先を失ったマネーは迷走を続け、リーマンショックを引き起こし、さらに状況を悪化させました。もはやここまでくると現物(ハード)については投資先が見つからないのです。物が世に溢れモノ余りの時代が来ました。今、「断捨離」が流行っているのも、ものの多さに困っているからでしょう。なぜこんなことになったのか?と現代人はいぶかるかもしれません。しかし、たとえば、NHKの朝ドラ「カーネーション」や「おひさま」を見ればわかるように、戦時中戦後の日本はものどころか食べ物すらなく、私たちの2、3代前の先輩はたいへんなご苦労をなさったわけです。それを考えればものが豊かであることが幸せであることは疑いようがありません。しかし時代は移りものがあふれすぎてしまった。これもまた自然な流れです。したがって、ものの価値が相対的に下がり、ものに投資してももうからなくなってしまいました。これが冷戦後の経済の本質ではないでしょうか?

すると、もの(ハード)ではなく無形のもの(ソフト)に投資しなければならなくなります。日本は不動産(所有権、借地権)に投資し、アメリカは株や債券に投資しました。結局それが失敗に終わり、経済をさらに悪化させました。つまり、資本主義の大部分は、冷戦の次の時代のソフトへの投資に失敗したのです。唯一成功したのは、情報産業、ソフトウェア産業です。インターネット、それにより流通するソフトウェアやコンテンツ、そしてサービスです。マイクロソフト、グーグル、アマゾン、アップルなどがこの範疇です。では、こういう企業は何に投資したのか?知識や人材、頭脳に投資したのでしょう。新しいアイディアやそれを実行する意思の強さや粘り強さ、説得力、などなどです。しばしば、日本人はこういう力が弱いといわれますが、本当でしょうか?戦後はたしかにそういう傾向があったかもしれません。しかし、それより前の明治さらに江戸時代の日本は、むしろこういうことは得意だったはずです。まず、識字率は世界一。さらに江戸の文学があり、明治になればさらに西洋の文学を取り入れゆたかな文化を作ります。歌舞伎や浄瑠璃などの豊かな情緒、明治になってからも演劇など、表現力は豊かでした。これらの本質は、日本は学校教育はもちろん、家庭教育、職場教育、職人教育、文芸教育、道徳教育、社会教育がきわめてすぐれていたのです。日本人は、その社会に属するだけで、人としての豊かな教育を受けることができたのです。つまり、人に対して多額の投資をしていたのです。今の日本はどうでしょうか?スキルを磨くことに投資しますが、モラルや美意識、道徳意識に投資する人はどうも少ないようです。


無形のもの(ソフト)に投資するときに、真っ先に投資すべき先は「人」だったのでしょう。


アメリカのベンチャーキャピタルは技術ではなく起業家という人に投資しているといわれます。日本は短期に利益を上げるためにそれと全く逆のことをしてしまいました。人に投資して新しい価値を生み出して売り上げを上げるのではなく、人件費を削って原価を下げるために海外の給料の安い労働力や頭脳に頼ってしまったのです。海外の優秀な勤労者は、日本の社会に参画することで、日本の良い面をきちんと身に着け成長してきています。それに比べ日本の若者は就職先もなく、日本の社会に参画すらできなくなってしまったのです。それが、冒頭に書いた、倉科の翁のお言葉になるのです。


すべての元凶は優秀な中国人を安く働かせたことにある。


この一言が象徴しています。これにより、給料はダウン、会社は多額の内部留保を持っていても投資先を見つけられていません。今こそ人に投資する時ではないでしょうか?人に投資するといっても、もうスキルを得るための教育はあまり必要ではないと思います。それよりは、モラルや働くときの心得や、現場で考える力を養うことが大切です。教育も、座学ではなく、現場で、自分で考える力をつけることが大切でしょう。

たとえば、リッツ・カールトンクレド>です。リッツ・カールトンでは、社員がこの<クレド>を復唱して、この言葉をもとに自分で考えて行動します。ちなみに、スキルのことはあまり書かれていません。それよりも、モラルや心得や考えることについて書かれていると思います。
http://corporate.ritzcarlton.com/ja/About/GoldStandards.htm

日本にもこのような文化は会社に根付いていたはずです。毎朝朝礼があり、社是を唱え、組織の長の一言など。みんな、くだらない話だと思いながらも聞いていたはずです。実はこれが大切だったのではないでしょうか?会社が乱れ始めたのは、フレックス制が導入されてからだという会社も少なくありません。フレックス制で、本当に家庭と仕事との両立がしやすくなったかは疑問ですが、フレックス制で朝礼が壊滅したのは明白です。

日本には、しっかりした会社文化があったのに、いつの間にか放棄してしまいました。日本人は実はとてもいいことをしていたのです。それでなければ、「まことに小さな国」が世界第2位の経済大国になれるわけがありません。もっと自信を持ちましょう!ただ、時代の大きな転換点で取捨選択を迫られたとき、大切なことを捨ててしまい、いらないものを残してしまっただけなのです。必要なことは実は自分が捨てたことの中にあるのかもしれません。もう一度引き返して、拾い上げてみませんか?今見ると輝いているかもれません。宝の山かごみの山か?楽しみですね。大きなことではなく、小さなことからはじめてみましょう。所詮手の届く範囲しか人は自分で変えることができないのです。


ことしもみなさまから多くの教えをいただきました。御礼申し上げます。来年もみなさんで絆を大切にして一緒にがんばりましょう!


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