私のコンテキストと私

こんにちは。湯本正典です。
先端IT活用推進コンソーシアム(AITC)
コンテキスト・コンピューティング研究部会(CC研究部会)で
サブリーダをしています。
この研究部会では、以下の計画で活動しています。
http://aitc.jp/wg/context/plan.html

「コンテキスト」ってどうしてこの世にあるのでしょうか?その本質的な理由は「つながり」があるからでしょう。つながりは、リンク、関係、リレーション、リレーションシップ、関連、などなどいろいろな表現があります。ネットワークでも、リンク、エッジ、枝、辺、といろいろな呼び方をします。絆、人脈といった社会的なネットワークもあります。「リンク」と「リンクの上に定義される関係の名前」は明確に区別する必要がある場合もあります。

空間的なつながり、時間的なつながり、社会的つながり、人的つながり。そして、このIT時代になって、Webが普及して分かってきたことは、そうしたつながりが、巨大なネットワークを形成して、この世の中に、「意味」や「価値」をもたらしているという事実です。いわゆる「メトカーフの法則」です。

すくなくとも、わたし湯本のコンテキストは、そういった時間的、空間的、社会的、人的ネットワークにより形成さています。そして、最近思うことは、このわたくし湯本という自分でさえ、いろいろなネットワークがあるからこそ存在していると感じています。

ひとつ問題提起として、なにもない無人島で生まれ育った人間に「人格」は形成されるのか?ということを考えましょう。いろいろな学問の背景(コンテキスト)を持った人間があつまって議論したとして。
食べ物などが確保されればとりあえず生きていられるのでは?生きていれば人間なんだから人格ができるたろうけれどどうだろう?DNAに刻み込まれている人格が出てくるのか?
もちろんこれは非常に難しい問題ですし、実験もできません。わたしは、生まれた赤ん坊を一定期間放置すると。。。という怖い話をきいたことがありますが、どうだったか定かな記憶がありません。

わたしの勝手な直感だと、上記のような無人島では、「人格」は形成されないと思います。

人格は社会的なネットワークの中で形成されるのでは?と思っています。

Webがもたらした一つの成果は、「ノードではなく『リンク』にこそ価値がある」ということを人間にあらためて実感させてくれたことです。その『リンク』を活用した検索がGoogleですね。自分をノードとしたときのまわりのネットワーク。その周りのネットワークが「コンテキスト」をつくっているのです。そして怖いことに、「コンテキスト」があるから「テキスト」が存在するという、摩訶不思議な構造になっているのではないかなあ?とおもう今日この頃です。

私は、「記憶、人格、リンク(の集合)、言葉、意味」は深くかかわっていると思います。これから研究していきます。