分析と総合のはざまで。。。

あるシステムを考えたとき、次に考えることは、そのシステムを、自分が既知のシステム要素に分解して理解することです。厳密ではありませんが、分析とはこんな感じです。分解する回数には正解はありませんが、分解する回数が、システムの階層の数と考えてもいいのかもしれません。

たとえば、物理学では、我々の宇宙を考え、その中の、銀河団、銀河、太陽系、地球、生物、分子、原子、原子核、陽子、クォークというような、物理的な大きさの階層性が考えられています。

どうやら、明治以降の日本の学問は、ほとんどの場合、分析をずーっと行ってきたと思います。

しかし、学問の歴史というのは、分析の盛んな時代があると、それをまた総合したり、統合したりする時代がやってくるようです。

たとえば、宮崎市定先生の「史記を語る」という本だったと思いますが、中国における史記の研究の歴史について言及なさった部分があったと思います。史記の数千年にわたる研究の歴史の中で、数百年ごとに、分析と総合を繰り返してきたそうです。どんどん分析していくと、やがて、収集がつかなくなり、どこかでまとめたくなるのが、人間の気持ちのようです。

分析するのと、総合するのとどちらが難しいか?おそらく、総合です。総合と同様の意味で統合があります。統合はインテグレーションのことです。インテグレーションというのは、積分という意味があります、その逆は微分で、細かく分けていく、分析と同じようなことです。では、微分積分どちらか難しいかというと、人間の頭にとっては、積分のほうがあきらかに難しいのです。
これが、人間にとって総合することが難しいことの一端を示していると思います。

最近の歴史において、学問の総合は数人の天才によって行われていると思います。たとえば、レオナルド・ダビンチ。
日本では空海。そして、このような考え方を重視した、帰納法フランシス・ベーコン

最近、私は、学問の世界も、分析の時代から総合の時代へ大きく変わってきていると思います。

サンタフェ複雑系研究所はその試みでしたが、決して成功しているとは言い難いです。

子供の頃、時計を分解して、元に戻せなくて、結局壊してしまいました。

分けると分かることも多いですが、俯瞰することも重要かと思う、今日この頃です。