情報が「観測」できる時代に

本日、知の構造化センターのシンポジウムに出席いたしました。

わたしは、先生方のご講演を拝聴しながら、「情報」とは何だろう?という日々感じている疑問の答えを探そうとしていました。たぶん「情報」という言葉も、それぞれの「著者性、歴史性、立場性」によって意味が違うのだと思いました。

いくつかの「種類」があるという仮説が成り立つと思っています。
・シャノンのいう「情報」:情報工学(通信工学など)の電子が運ぶ信号としての情報
・ネットワークから取り出せる「情報」:メトカーフのいうネットワークの価値の話。ネットワークのノードの数をNとすると、リンクの数は大きい極限でN^2に比例して、これがネットワークの価値になる。
・サービスで提供される「情報」の価値や質:受けて側のコンテキストによって決まる。
というような感じです。
また、「量が質に変わる」ということも関連しているとも思います。

辻井潤一 先生からは、
「道具」が進化して「情報」が見えるようになってきた。
「道具」の進歩とともに、「情報」のことがよりわかるようになる。
それぞれの立場によって「情報」の定義は違う。
というお言葉を頂戴し、たいへん感銘をうけました。

これから、また「情報」とは何か?という本質的な問題意識を心の片隅に置きながら、コンテキストの研究を進めてまいりたいと思っています。

#わたしは、まだ「渦中」にいないので、「岡目八目」なことが言えるのです。