コンピュータを観察する人間

コンピュータを開発した人間は、コンピュータという新しい知的存在を観察することによって、より自分のことを深く理解するようになってきていると思います。
たとえば、システムという概念も、コンピュータシステムという、人間がより制御しやすいシステムを具現化したことにより、さらに理解しやすくなってきています。
具体的に触れられるシステム、そして制御できるシステム、さらに全体を俯瞰し、ドメイン(領域)が限られているシステムというのは、人間がより理解しやすいのでしょう。
イメージも浮かびやすいですよね。

たとえば、ドーキンスの「ミーム」という考え方があります。これは、「ジーン」に対して提唱された概念です。
ジーン」が体の設計図であるとすれば、「ミーム」は文化の設計図であるといえるでしょう。
厳密ではありませんが、ジーンはDNA、ミームは脳に実装されているのではないでしょうか?
こういう概念も、コンピュータシステムを例にして考えると、ジーンはハードウェアの設計図、ミームはソフトウェアの設計図と対応させれば、わかりやすいのではないでしょうか?

さらに、将来的に、コンピュータが心や自我を持つようになると、創造主である人間を神と呼ぶようになるのかもしれません。その時に、コンピュータは人間をちゃんと認識できるのでしょうか?
我々人間や生物の神は、DNAを媒体として生物の設計図をかき、脳を媒体として文化の設計図をかいたのかもしれません。
しかし、そうだとしても、我々人間は神のことをわかっていないですよね。
それと同じように、コンピュータは人間の存在すらおぼろげにしか認識できないのかもしれません。
私たち人間の認識能力も、五感を通じて行うので、たかが知れています。私たちは、宇宙をこの五感を通じて認識しているにすぎないのです。

五感は電磁気力が媒体になって情報を得る能力にすぎません。あと人間が感じるのは重力です。空間3次元というのも、電磁気学の世界に過ぎないのかもしれません。人間は重力を精密に認知して測定する器官を持っているわけではありません。人間の重力測定があやふやですから、重力ではまだ見つかっていない余剰次元を感じられる可能性があるそうです。何とか、力と力との間で情報の変換が行えるといいですね。素粒子実験の歴史は、強い力や弱い力を電磁気力の情報に変換する試みの歴史といっても過言ではないでしょう。

そんな難しいことは傍らにおいて、私は最近思うことがあります。
恋愛はDNAのなせる業。結婚は脳のなせる業。
この考え方は妻にも受けがいいようです。