日本の政治思想を源平で整理する試み

日本の政治がどこから始まるかは、いろいろ議論があると思います。一つは、聖徳太子が十七条の憲法を作った時に始まったといえるでしょう。そして、二つ目が、天武天皇律令政治を始めたとき、これまた、日本の政治の始まりともいえると思います。それ以後、天皇を中心とした、貴族の政治が平安時代まで、長期にわたって続きました。

その平安時代の末期、朝廷の軍事を担う、さむらいの集団が、力をもち、覇権をかけて争います。いわゆる、源平合戦の時代です。ここで、平家の政治思想と、源氏の政治思想が大きく違っていることは重要だと思います。平清盛は、あくまで、天皇を中心として政治を行うことを考えています。さむらいも、朝廷の中にあって、力を持つべきものであると思ったのでしょう。それに対して、源頼朝は、武士は野に下り、独自の政権を担うべきと考えました。その思想が、自ら征夷大将軍として、実権を握ろうとした幕府の設立につながります。

これ以後、長い日本の政治史の中で、天皇中心の政治と、天皇ではないリーダによる政治が繰り返されるのです。前者は平家の思想、後者は源氏の思想といえるのではないでしょうか?
鎌倉幕府が滅び、建武の新政では、政治思想的には「平家」になったといえるでしょう。そして、足利尊氏は、「源氏」の思想で幕府を立てます。義満から、この辺があやふやになってきて、「源氏」らしからぬ「平家」的な政治を始めます。このどっちつかずが、室町幕府の根底を不安定にしたのではないでしょうか?

室町幕府を滅ぼした織田信長は、「平家」の思想だったのでしょう。自ら「平」を名乗り、副将軍なども断りました。征夷大将軍になるつもりはなかったのでしょう。それに対し、明智光秀は、根っからの「源氏」思想です。さらに、信長の跡を継いだ秀吉は「平家」的な政治を行いました。豊臣を滅ぼした、家康は源氏の政治を行います。おそらく、明智光秀と、徳川家康は、政治思想が似ていたと思われます。しかし、家康は、おそらく、そういう政治思想を乗り越えて、信長の政治に協力したのではないでしょうか。日本の将来を考えていたと思います。その後、自ら政権をとって初めて、自分の信条を政治に反映したとも考えられると思います。

その後、江戸幕府が滅び、再び、天皇を中心とした、「平家」の時代が来ます。そして、第二次世界大戦に敗れた日本は、再度、民間のリーダによる、「源氏」的な政治をはじめ、今に至ったのでしょう。しかし、その際の力は、武力ではなく、経済力に代わっていったのでしょうね。この源氏の時代がいつまで続くのか。それとも、この周期的源平の政治交代のパラダイムから脱却するのか?興味深いところです。