説明責任(accountability)

昨日、研究室で、週次定例会がありました。
その中の重要なテーマの一つと思われる、説明責任について、今日は私の考えを含めて書いてみたいと思います。

東京大学では、科学研究行動規範を定めています。
http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/res/res4/kihan/index.html
その総論が以下のページに出ています。
http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/res/res4/kihan/kihan.pdf
この行動規範について、先生からご説明がありました。
先生が、「この文章の中で重要な点は、どこだと思いますか?」と問いかけられました。出席していたメンバーは、それぞれ自分で重要だと思う点を考えたと思います。
私が重要だと思う点は、「透明性」と「説明責任」です。この2つが、繰り返し文章の中に出てきますので、「記号情報論」の視点から、まず重要だと思うのです。では、この2つの用語の意味は、何でしょうか?この2つのうち、どちらがより重要かというと、私は「説明責任」だと思っています。「説明責任」を果たすためには、説明する事象について、みんなから見えるように、そして、誰もが検証できるように、透明性が確保されていることが重要だとおもうのです。
研究者として「説明責任」を果たすことが使命であり、透明性を確保することは、そのための重要な手段です。
説明責任を果たし、そのための透明性を確保するために、論文を発表したり、講演をしたりするのでしょう。
このように考えてみると、「意味情報論」としても、「説明責任」と「透明性」は互いに深くかかわっており、また、内容としても重要であることがわかります。

さて、科学研究者として、「説明責任」が重要であるとともに、私は医療情報を担当させていただいていますので、医療の視点からも「説明責任」ということを考えてみたいと思います。医療従事者の果たすべき説明責任として「インフォームド・コンセント」があると思います。一時、インフォームド・コンセントのことを「納得診療」と呼ぼうというような提唱があったともいます。この試みは、すぐに意味がピンときませんでしたが、よく考えてみると結局、説明責任を果たしたか果たしていないかは、説明した相手が納得したか、納得していないかにかかっているといえるでしょう。やはり、相手、そして、さらに複数の第三者に「納得」していただくことが大切だと思います。

さらに、私は先日まで企業に勤務してきましたので、企業の説明責任を考えてみます。説明責任は、英語に戻すと、accountability です。
以前にも書きましたが、慶應義塾の友岡賛先生のご本を拝読しました。
会計の時代だ―会計と会計士との歴史 (ちくま新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480063293/
会計は英語でもともと、accountingであるから、説明することが重要です。説明の目的は、ステイクホルダーに納得していただくことです。という内容であったように私は理解しています。

まとめると、社会的活動(要は働くこと)の結果、必須なことは、
1.説明責任を果たすこと。
2.説明責任の目的は、相手と複数の第三者が納得すること。
3.説明責任を果たすための手段として、透明性を高めること。
ではないか?と、現段階で、私は考えています。

そして、説明責任を果たすためには、自分自身が、よく考えて、理解していることが必要でしょう。
自分が理解できていないことは、相手に説明できません。
また、誰かに説明することで、自分は、どこを理解しているのか、もしくは、どこを理解していないのかを自覚することができるのです。
分からないところがどこであるかが分かると、それがまた次の研究への動機になります。

説明責任を果たすことによって、自分自身のあいまいな点がはっきりする。
これが、研究者自身にとっては、なによりの成果なのでしょう。