「独創性」について考えてみる。

独創性とは、何か?ということは、よくみなさんで議論されることが多いと思います。独創性とは、突拍子もない考えなのでしょうか?突拍子もない考えでよければ、たとえば、日本で平安時代に、携帯電話の原理を思いついたとしたなら、それは、独創的と言えるでしょうか?おそらく独創的とは言えないでしょう。やはり、「時代に合った、突拍子のなさ」でないと、独創的ではないのです。

しかし、その一方で時代に迎合した研究では、面白くないですし、独創的とも言い難いでしょう。

では、「突拍子もない考え」であって、かつ「独創的」とは、どういうことなのでしょうか?

私もずいぶん長いこと、このことを考えてきましたが、現段階での回答(仮説)は以下のようです。

「独創的な研究とは、突拍子もないアイデアに基づくものであるが、そのアイデアを実現するための行動を、自分が今すぐ起こすことができ、かつ、そのアイデアの実現によって、世の中がよくなる研究である。」

独創的な研究とは、まず誰も考えていなかったアイデアに基づきます。しかし、「誰も考えていない」なんていうことは、実は証明でいきません。「誰かが公表していたかいないか?」は判断できます。公表とは、ちゃんと、研究会で発表するとか、論文として名の通った論文誌に出すとか、名の通った出版社から出版するとか、そういうことです。
ですから、そういうことを含めて、次の節にある、「アイデアを実現するための行動」が大切なのでしょう。
「アイデアを実現するための行動」とは、以下のような行為のいずれか、またはすべて、と私は思っています。

・公衆の知とすること。
研究会の発表、学会発表、論文投稿、出版などです。雑談ではだめなのです。

・研究費を調達する活動をすること。
研究するためには、やはりお金を出してくれる人が必要です。そのお金を出してくれる人が、ちゃんと理解できるように説明する努力をしないといけません。なかなか理解していただけないこともありますが、自分も何度も何度も説明を失敗していくうちに、よりわかりやすい説明ができるようになってくる場合もあります。

・研究に協力してくれるように仲間を説得すること。
研究は一人でできることならいいのですが、仲間がいると効率的ですし、心強いです。仲間にいい研究だねといってもらえるとうれしいです。もちろん、仲間には、自分を支えている家族が含まれることはいうまでもありません。

以上のような行動がすぐに起こせると、突拍子もない考えでも、独創的といえるのではないでしょうか?

最後の、世の中がよくなる研究というのは、上記を満たしていれば、大概の場合満たされていると思いますが、そうでない研究もありそうなので、書いておきました。たとえば、大量破壊兵器の研究などはこれを満たさないでしょう。

さて、これでは、自分の本当に好きな研究ができないではないか!と思うかもしれません。私も、そう思って悩んだ時期がありました。
ところで、パレートの法則をご存知ですか?2:8の法則とも言います。
つまり、自分の研究の8割は、上記のような独創的な研究を行い、さらに、残りの2割で自分の好きな趣味の研究をするというのが今のところ私の研究の最適化状態です。
意外とこの2割は重要で、次の研究の8割の成果を導くことさえあるのです。