人間とエネルギーに関する愚考

人間の仕事の出来は、エネルギーをいかに効率よく人間が制御しやすいエネルギーにかえるかの勝負である。
そしてそれは、生物みんなに共通する課題でもある。
今、地球上でこの問題を一番よく解決しているのは植物である。
葉緑体という強力なツールを持っている。人間はそれを使って、経済活動を行っているに過ぎない。
石油、石炭も、紙も、蝋も、薪も、そして食べ物も、植物の活動のおかげである。
そして、人間は今、やっと自らのちからで非生命物質を利用してエネルギーを作り出し、新たなる一歩を踏み出そうとしている。
それが、太陽光エネルギーであり、原子力であり、自然エネルギーである。




制御しやすいエネルギーとは、エントロピーの低いエネルギーである。
エントロピーとは乱雑さであり、エントロピーが低いとは秩序立っているということである。
秩序立っているとは、人間にとって美しく見えることである。
秩序立っているとは、構造が見えるということである。
秩序立っているとは、何らかの法則性があるということである。
何らかの法則とは、対称性の法則であることが多く、またそれによる保存則であることが多い。
法則性があるとは、人間がそのルールを理解しているということである。
人間がルールを理解しているということは、人間が制御しやすいということである。





秩序立っているとは、人間がルールを理解しているということであり、
人間が制御しやすいことであり、エントロピーが低いことである。
エントロピーが増加するとは、人間にとって制御しにくくなるということ。
つまり人間にとって価値がなくなることである。





もし、エントロピーが増大していることにより、時間がたっていると認識しているのであれば、
時間の矢の方向というのは人間の価値観や利益にそぐわない方向を示しているに過ぎないのではないか?
そしてそれは、すべての生物にとって共通の概念なのかもしれない。
結局、生物が存在しなければ、時間という概念は必要ないのかもしれない。
「生物の存在」=「時間の存在」なのかもしれない。
きっと生物には寿命があるからなのだろう。
この辺でまたわからなくなる。寿命(もしくは命)の概念の存在が先か、時間の概念の存在が先か(笑)。