機械時計と生体時計

最近思うことがある。世の中には2種類の時計があるのではないか?と。
機械時計と、生体時計。
機械時計・・・物理的な時間を計る。
生体時計・・・生物的な時間を計る。

つまり、時間にも、上記の時計によって、2種類の時間があるのではないか?と思う。

機械時計・・・地球が太陽の周りを公転し、また地球が自転していることに基づく時間。機械的な反復運動。ばね。振り子。日時計。ぜんまい時計。また、水時計、砂時計などもこの種類である。

生体時計・・・人間をはじめ生物が感じる時の流れ。腹時計。睡眠の周期。ホルモン分泌の周期。ゾウの時間、ねずみの時間、などなど。

アインシュタインは、相対性理論を発表した。相対性理論は、機械時計と空間を計る機械(要は「ものさし」)との相対性を唱えた理論。しかし、アインシュタインは、相対性理論は何か?と聞かれて、こんなジョークも飛ばしている。「あなたが美人の膝の上に座っていると短く感じるけれど、ストーブの上に座ったら熱くて、長い時間に感じるでしょう。」このジョークは、生体時計に基づくのではないか?

そして、機械時計と生体時計のギャップに、我々現代人は日々悩んでいるのではないかと思う。もちろん、生体時計は、我々生物が、地球の自転や公転に慣れるように調整されてはいる。しかし、秒単位や分単位で活動するような厳密な調整はできていない。ここらへんに、現代人の不幸があるのではないか?と思う。

エントロピーが増大するのは、時間を機械時計で計ったとき。生体時計で計ったときには、違いがでるだろうか?

時間ができたら、考えてみたいと思っている。