統合や総合

昨日の研究室のパーティーの帰りに、秋山昌範先生のお話を拝聴する機会に恵まれました。先生が、「医療情報は、文系理系両方の知識や研究が必要であり、そこが面白いでしょう。」とおっしゃいました。私も本当に同感です。そもそも情報学というのは、プログラミング言語や、自然言語処理、また、システム設計や、数値データ処理、統計学の知識が必要です。システム構築の際には、通信や電子デバイスなどの知識も必要です。また、サービス工学や経営工学、社会学ソーシャルネットワーク、ネットワーク理論一般、などなど、本当に多岐にわたる知識が必要なのです。逆に言うと、この分野で役に立たない知識はないですし、一見役に立たないことでありながら、深く考えると、その知識が活きる適切な場所というのが見つかる場合もあります。そのさいには、その知識の果たす「機能」と「効用」が大切で、実は、その知識の中身の詳細は説明の必要がない場合もあります。オブジェクト指向におけるカプセル化を意識して、「インプット」「アウトプット」「機能」を定義してやり、その中身の品質さえ保証すれば、使う人にとっては、中身の詳細はどうでもいいことなのです。

さて、このように、知識の部品(モジュール)を組み合わせて大きなシステムやサービスを作っていくのですが、そのときには「BigPicture」を描いて、理想形を考えて、そこに必要な機能(そしてそれを実現するための知識)を埋め込んでいく方が考えやすいと思います。まるでジグソーパズルのようです。また、一度分解した時計をまた元に戻すようなことです。ここで、大切なことは、全体像が把握できていないと決して組み立てができない。ということです。全体像が把握できない限り、統合や総合はほとんど不可能に近い、と思うのです。

これは、何も知識やシステムに限ったことではなく、実は、製品や商品にも言えることです。たとえば、時計は、もう見慣れているので、全体像はわかります。そして、それを分解していって、その部品を改良し、品質をよくすれば、良い時計ができたのでした。しかし、時計は、今のような腕時計や掛け時計だけでしょうか?違いますね。昔は、日時計水時計などもありました。見た目の全体像は全く違います。唯一共通していることは「時を計る」という機能だけなのです。この時を計るという機能だけを実現するためには、何も、今までの時計のカタチにこだわることはないのです。そして、新しい時計を作るときには、製作者自身が、その新しい時計の全体像を明確に描き出して把握していないと、作成することができません。

たとえば、ビルゲイツは、WindowsのOSを作成するときには、OSの全体像をイメージして、そこに必要な機能を実現する既存の技術をどんどん詰め込んでいったようです。また、アップルがiPodを作るときには、あの美しい曲線の形状を実現するために、日本の新潟県燕の洋食器の技術を適用したそうです。全然違う分野の技術でも、実現する機能に注目して使い分ければ、全く新しい製品になることもあるのです。現代のイノベーションは、新しい技術の開発よりは、その技術の機能や効用に注目して、その機能が有効に使え、効用が発揮できるような適用分野を見つけ出すことの方が、より重要なようです。

最後に、私は、オペラが大好きなのですが、オペラは総合芸術と言われます。あらゆる楽器、音楽、舞台美術、大道具、小道具、舞踊、歌唱、合唱、演技、台詞などを使います。現代の情報学は、このような様相を表しつつあると思います。