固定財 と 流動財

先日、企業会計を用いて経営分析するお話をちょっとだけ書きました。総資産が大きいという量の尺度によって計る価値と、固定比率(もしくは流動比率)という質的な価値とがあることを考えました。量が大きくても質が悪ければよくありませんし、質が良くても量が少なければこれも好ましくありません。量の向上と質の向上とが必要でしょう。



そして、エネルギーを考える時もこれと同じであると書きました。エネルギーの総量が多いことはよいことですが、質が悪いと使い物になりません。効用が低くなります。エネルギーにとって質の尺度となるのが「エントロピー」です。エントロピーが高いと質が落ち、エントロピーが低いと質が上がります。ちょっと正と負の方向がが逆で不便ですね。将来的に苦労するかもしれません。「電子がマイナスからプラスに流れると、電気はプラスからマイナスに流れる。」というのと同じくらい不便でしょう。そして、エントロピーの低い(質のいい)エネルギーの代表として電気エネルギーが、またエントロピーの高い(質の悪い)エネルギーの代表として熱エネルギーが挙げられます。なぜ電気エネルギーが質が高いと思えるかというと、人間が制御しやすいからです。電気は流動性が高いし、他のエネルギーへの変換効率も高いのです。これを質がいいと表現します。エントロピーは熱機関という仕組みを用いて初めて理解できるのです。


さて、そもそもの経済学の財の話を考えて見ましょう。固定的な財、不動産や工場設備などの財は必ずいるものですが、流動性が低く、他の財への変換効率が低いです。経済活動にとっては質の低い財といえるでしょう。その一方で、貨幣は非常に流動性が高く、他の財への変換効率が高いです。経済活動にとっては質の高い財といえるでしょう。そして、その中間的なところに位置する財として、商品や製品があります。売れば貨幣になりますし、移動性も高いです。この、固定財、中間財、流動財の間の変換が経済活動の重要な要素であり、財の質(価値)を決めるのが市場でしょう。エネルギーにおいて質(エントロピー)を決めるのが熱機関と言いましたが、財にとって質(価値)を決める機関が市場と考えてもよいのではないでしょうか? 

冒頭で書いた、企業の経営分析による企業の質、経済活動における財の質、そして科学におけるエネルギーの質。
いずれも、他のものへの変換効率が高く、流動性の高いものが質が高いといいます。


ところで、情報にもエントロピーという考えがあります。これは、その情報の珍しさを測る尺度です。珍しいものに価値があり、情報の質が高いというのです。たしかに、エネルギーも財も企業も「珍しいもの」に価値があります。珍しいものほど他への変換効率が高く、流動性が高いといっても、すっごーく直感的にはわかるような気がしますが、ちゃんと論理的に理解するには、私としてもまだ時間がかかりそうです。しかし、珍しいことは、質が高いことの必要条件であって、十分条件ではありません。この辺は、時代の雰囲気、世の中のニーズといった、世相のコンテキストにかなり依存しそうです。


質というものを考えるときに、エネルギーで熱機関、財では市場、企業では会計という、人為的と思える機関を考えないと理解できませんでした。私が普段から考えてみるに、本当の自然界(第1義的な自然)から得られる量に対して、質というのは、人間の社会活動における必要性、つまり、人間にとっての価値、の尺度であって、第1義的な自然の量ではないと思うのです。質は第2義的な自然の量ではないでしょうか?特にエントロピーについてはそう思います。熱機関は機能であって、確かに自然法則に従って存在するのですが、それ自体が第1義的な自然とは考えにくいのです。


まとめると、質を計るには機関が必要で、その機関に熱機関や市場や会計が相当します。


さらに、エントロピーと時間との関係、そして記憶との関係が気になります。時間と記憶も第2義的な量のような気もします。時間は、時計という機関(周期的運動機関)によって計測しますし、記憶も何らかの機関(試験?)を通して初めて計測できます。この辺まで来ると頭がこんがらがって、観測量と観測機器の問題が出てきて量子論の観測理論の話に突入してしまいます。今日は、このへんでやめておきます。