「放射能と人体」を拝聴して

昨日、日本医学会・日本医師会合同フォーラム「放射能と人体」を受講しました。
http://jams.med.or.jp/forum/pdf_forum-poster_godo.pdf
http://jams.med.or.jp/forum/index.html

総合司会と序論を担当なさった、長崎大学名誉教授の長瀧重信先生のお話はとてもためになりました。また、福島県立医科大学副学長の山下俊一先生、財団法人放射線影響研究所理事長の大久保利晃先生をはじめ、多くの先生のお話を拝聴しました。

私なりに、まとめてみましたので書いてみます。

1.放射能の影響は3種類ある。(1)「急性」放射能を瞬時に大量に浴びてしまう事故現場のような状況での影響(2)「晩発」低レベルの放射能を長期にわたって浴び続けたときの影響(3)「遺伝」。いま社会問題となっているのは(2)である。

2.科学的には以下のことがわかっている。
(1)「急性」
・瞬時に10000ミリシーベルト以上の放射線を浴びると生命にかかわるような重大な影響がある。
(2)「晩発」
・年間100ミリシーベルトを越すと、被曝量と発がん率の間に線形の相関がある。つまり、年間100ミリシーベルトよりも大きな被曝量になって初めて、被曝量に比例して発がん率が増大するとうい関係がある。年間100ミリシーベルト以下では、被曝量に比例して発がん率が向上しているわけではない。これらは、主に、広島・長崎の原爆の影響の調査に基づく。

チェルノブイリの事故の後、周辺で小児の甲状腺への影響が見られた。これは、放射能に汚染されたミルクを日常的に摂取したことによる影響と考えられる。また甲状腺への影響であることから、放射性ヨウ素が原因であると考えられる。ただ、この地域はもともと甲状腺機能の異常が比較的多く診られた地域であることも考慮する必要がある。
チェルノブイリの事故の後、セシウムによる内部被曝と発がん率とに明確な相関はない。

・テチャ川流域では、年間250ミリシーベルト以上の放射線を浴びている住民の発がん率が増大している。
・インドのケララ地方では、一般住民が年間平均4ミリシーベルトの被曝を自然界から受けている。今のところ他の地域と比較しても発がん率の向上は見られない。
科学的にわかっているデータはおおよそこれなのです。私たちは、このデータからどう考えるか?が求められています。

3.主な考察事項(晩発を中心に)
・年間100ミリシーベルトを超すと明確に発がん率が向上しているので、年間100ミリシーベルトよりは低い被曝量であることが望ましいと科学的な立場からいうことができる。
・では、100ミリシーベルト以下では、どうして被曝量と発がん率の間に明確な相関がみられないのか、考えないといけない。発がん率が向上する原因は、なにも、放射線被曝だけではない。日常生活の中で、喫煙、過度の飲酒、野菜不足、運動不足、肥満、などなどの多くの発がん率向上の原因がある。これらの要因をすべて排除して、放射能によるリスクだけを抜き出して調査しようとしてもそれは不可能である。つまり、年間100ミリシーベルト以下の場合だと、喫煙、野菜不足、運動不足などと同程度の発がんリスクと考えていいということである。
※ちょっとこの部分を私なりに考えていましょう。たとえば、年間1ミリシーベルト被曝していて、かつ毎日タバコを2箱吸っている人がいました。そしてがんになりました。さて、がんの原因はどちらでしょうか?この問いに科学的に答えることはできないということです。この程度の被曝量だと、放射線の影響のみならず、その人の生活のコンテキストのほうが重要になってくるということです。

4.科学的な正しさと社会的な正しさ
これがとても大切なことなのですが、科学的な正しさと社会的な正しさは違うということです。年間100ミリシーベルトを超えると科学的に明らかに発がん率が向上する。しかし、それ以下だと、日常的な他の発がんの原因と混ざってしまい、発がんの原因がわからなくなってしまう。だからといって、放射線を浴び続けるのは、悪いことであることには違いないので、なるべく放射線を浴びないようにしましょう。これが、科学的な根拠に基づいた、社会的な正しさです。では、なるべく浴びないように。。。といわれても、目標があったほうが気を付けるようになります。こうして、なるべく浴びないというのがどの程度なのかというので決められたのは、年間1ミリシーベルトということです。つまり、年間1ミリシーベルトというのは社会的な正しさなのです。
※いってみれば、タバコはなるべくやめましょう。毎日30分の散歩をしましょう。そうしないと発がんリスクが上がります。というのと同じことです。
※たとえば、年間5ミリシーベルトを被曝していた。そしてがんになって死んでしまった。といった場合、科学的には被曝のためにがんになったとは言い難いです。しかし、被曝していることを知って本人が非常に精神的に苦痛を受けたり、社会的な活動ができなかったりすることは、社会的に正しいことでありません。このような場合は社会的な正しさに従って、救済すべきことなのかもしれません。

5.私の感想
とても勉強になりました。特に4番はたいへん重要と思いました。
変なたとえかもしれませんが、近代科学の父と言われるニュートンは、化学反応によって金ができると信じでおり、錬金術に夢中でした。もちろん、今では化学反応によって金ができることはないとわかっています。したがって、今から考えると、金の合成に関するニュートンの考えは間違っていたということになります。けれども、当時は誰もが金ができることを信じていたのかもしれません。錬金術の研究は社会的に正しい判断だったといえるのかもしれません。では、本当に錬金術の研究は必要なかったのか?そうではありません。錬金術の研究を進めることによって、また違った化学反応に関する事実がわかり、化学反応の研究が進み、今日の化学合成ができて、便利な化学物質、石油製品ができるようになったのです。このようにして科学は進んでいくのです。ここまで考えると、ニュートン錬金術は、社会的に正しい行為といえそうです。もちろん、この錬金術や化学反応の研究の過程で、研究者のみならず、一般市民が詐欺にあったり、けがをしたり、はたまた生命を落とすこともあったのかもしれません。このようにして人間の科学的な能力は向上していくのです。
もうちょっと身近な話ですと、秋ですからキノコの話をしましょう。毒キノコがなぜ毒キノコとわかるのか?それは、過去に犬や猫が食べて死んだからなのか、もしくは、人間が食べて死んだから、わかったことなのでしょう。毒であることがわかるのは、必ず何かの犠牲があるからです。私たちができることは、先人の経験を現在に活かしてよりより生活を送ることです。先人の経験から毒キノコとわかっているにもかかわらず食べて死んでしまう人がいます。しかし、キノコすべてが毒だと思い込んで食べないでいると、一生、マツタケやシメジのおいしさをわからずに死んでしまいます。怖がりすぎてもいけませんし、かといってリスクゼロのことばかりしていると、人生はつまらなくなり生きてる甲斐もなってしまうのです。

そんなことを思いながら、会場を後にしました。

このフォーラムの最後に、長瀧重信先生がおっしゃった言葉が印象的でした。
「みなさん、この会場からご自宅に帰られるまで、死ぬ確率はゼロですか? ゼロでなければ帰りませんか?」

ああ、そうだなあと思いました。


#12208