技術から見るこれからの資本主義

先日の本ダイアリーに書いたように、技術の基本は、「てこと滑車」。少ない力を大きな力に。少ない原資で大きな効用を!です。これは、資本主義と目指すところが同じです。そして、この大きな力は、あくまで手段であり、何か別にある「目的」のために使われるのです。資本主義もそうでしょう。また、金融だってそうです。お金を増やして何かに使うためにあったはずです。では、この目的とは何か?一言で言ってしまえば「人類の幸福のため」でしょう。人類の幸福のためというのは少し大きすぎる概念で、具体的には、自分の幸福からはじまり、家族の幸福、地域の幸福、地方の幸福、国の幸福、世界全体の幸福というように広がっていきます。しかし、原資は限られているので、そのなかですべての幸福を実現するのは無理です。個人同士の幸福が互いに相反する状態である時、けんかが起きます。ある国とある国の利益が相反するときに戦争が起きます。また、個人の利益と国の利益が反するときもあります。公共の利益か、基本的人権の尊重かという、政治哲学の話になります。このように、限られた原資と利益の分配をスムーズに行うために政治があります。


こんな釈迦に説法な話はやめて、改め技術を見てみましょう。技術は、限られた原資で大きな利益を得るのですから、人間は基本的に幸福になります。政治もやりやすくなります。では、今の人類にとって、どれほど大きな利益が必要で、そのためにはどれだけの原資が必要で、どれだけの技術が必要か、考えてみましょう。


一つの例として、交通手段の技術を考えてみましょう。蒸気機関ができて、蒸気船ができたことにより、海外渡航が容易になりました。また、ガソリンエンジンができて、自動車や飛行機ができて、さらに移動が容易になりました。考えてみれば、大航海時代、海外渡航は国家プロジェクトでした。しかし、現在は民間企業が行っていますし、個人でやろうとしても不可能ではありません。また、サービスを受けるだけならば、個人のお金で海外旅行ができます。こうしてグローバル化が進みました。

大航海時代以前は、海の果ては滝で落ちているとか考えていたので、船で渡航した先に、同じような人間がいたことに、本当に驚いたことでしょう。いまでいったら、宇宙人に遭遇した感じではないでしょうか?こういう、海の果ての陸に人間がいたことはラッキーで、これにより、新たな陸に市場や原材料の調達地を得ることで、資本主義は、爆発的に成長しました。では、次はどこに向かうか?そう。宇宙です。そして、いま宇宙時代においても、宇宙船の打ち上げなどは国家プロジェクトになっています。やがて個人ができるようになるまでダウンサイジングするのか?は疑問ですが。しかし、ここで不幸なことに気づきます。となりの星までの距離があまりに遠い。そして、その星には同じ人間が存在することはほとんどない。ここが、大航海時代から始まる渡航時代と違うところです。隣の星には、市場はないし、作れないのです。また原材料の調達地になるかさえもわからない。このような絶望的な状況にあります。


「小さなエネルギーを使って大きな効用を得る」という例として交通手段を上げ、海外渡航を説明しました。しかし、宇宙渡航をしてもほとんど何の利益も得られないことに気づきつつあるのです。では、この「大きな力」を手段に、どこへ向かうのか? 私には、ただ一つしか答えが思いつきません。海です。実は、地球上の海の本当の底にたどり着いた人類はいません。そして、深海がどうなっているのかも、なにがあるのかも、あまりわかっていないのです。もしかすると資源の宝庫かもしれません。では、なぜできないか?それは、潜水艦が高圧に耐えられないからです。また、海外の国がすべて海に面しているわけではありません。だから、海を開発するといってもできる国は限られているのです。ここが、陸地と違うところです。陸地に建てる工場や建築物、交通機関のように、海の施設を有効利用できる国は限られているのです。そういう観点からみると、日本はとても有利であることがわかります。円高ですから、海外の市場から、海洋開発のための資材や技術を買い付けて、日本で施設を研究し、開発し、設置する、なんてことは考えられないでしょうか?

いずれにしても、人類はこの有り余った力をどこに向けて、何を目的として行動すれば、幸福になれるのか?この問いにまだ答えが出せていないのです。くれぐれも自爆にだけは使いたくないものです。


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