食糧価値の顕在化の可能性を考える

最近、金融情勢がとても悪化しているようです。お金の取引がバーチャルの世界で行われ超高速になっているのに、リアルの世界の現物、また人の頭や人の動きがそれについて行っていないからでしょう。その辺のことを昨日書きました。子供のゲームによるリアルとバーチャルの乖離が問題になっていますが、大人の方もお金によるリアルとバーチャルの乖離が甚だしいのではないでしょうか?このようなアンバランスが、今のような不安定な情勢を生み出しているとも考えられます。実物の価値(現物、リアルな価値)に比べて経済金融活動における価値(頭の中の、バーチャルな価値)が高騰することをバブルというのであれば、やはりある種のバブルなのでしょう。

経済の先行きが不透明な中、お金自体の価値や債券の価値が急落しています。お金の価値が下がれば、相対的に物価が上がり、インフレになります。一方で、世界的なデフレスパイラルは、おさまりそうにありません。最近あまり聞かなくなりましたが、スタグフレーションという言葉があります。インフレとデフレが共存している、よくわからない経済状態です。定義があいまいなので、なんともいえませんが、一種のスタグフレーションが起こりつつあると思います。私が思うに、ある一部の商品だけが高騰し、多くの分野ではデフレ基調が続くのではないかと思います。ある一部の商品というのは食糧、食品です。このあたりは、大学時代の畏友、新村直弘さんに伺ってみたいと思っています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4322113753

私のような素人は次のように考えます。世界的な規模で考えてみましょう。日本国内のことではありません。まず、今のままではお金の信用がなくまります。するとインフレになります。しかし、不景気で経済活動が鈍化、さらに、工場の操業なども行わなくて済むようになります。エネルギーの深刻な不足は、あまり心配ないと思っています。いまどうしてもほしい商品、たとえば、高度経済成長期の、テレビやエアコンや、冷蔵庫や洗濯機や掃除機といった商品もありません。商品に魅力がないから購買意欲がわきません。このようにいろいろなことを考えていくと、最後にどうしても必要なものが残ります。食糧や食品です。食べることなしに人は生きていかれないからです。

プロセスはわかりませんが、結局価値のなくなったお金、もしくはなけなしの金で、どうしても買わなければならない商品は、食糧と食品です。そして、食糧や食品に価値が出てくれば、お金持ちは、それに投資するでしょう。食糧取引の金融商品も充実してくかもしれません。つまり、食糧と食品の高騰は、今の状況で起これば、際限がなくなる可能性があります。

商品先物取引を世界で最初に考えて実行したのは、江戸時代中期の大阪の堂島の米商人です。米の所有する権利や買い付ける権利を売買したようです。実は、日本はこの分野で歴史的には世界をリードしていたのです。さて、「堂島」のその後はどうなったでしょうか?米が高騰し、幕府が介入します。またその後の天災により飢饉が発生します。結局各地で米一揆米騒動のような動きが起こります。そして、経済的に窮地に陥った幕府は、黒船の到来とともに消えていったのです。
フランス革命も、パンを求める民衆により起きました。「食べ物の恨みは怖い」のです。

いままで、当たり前のように食べていた食べ物のありがたさがわかると思います。ダイエットもしなくて済むようになります。食べ物が足りませんから。けれど、安い脂肪ばっかり食べていたらどうなるのでしょうね?この辺が分からないと、生活習慣病が増えるか増えないかわからないですし、社会保障の規模にもかかわってくる問題なので、深刻なのかもしれません。

太平洋戦争を見越した白洲次郎のような「武相荘」が必要になるかもしれませんね。

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