コンピュータと人間、そして神。

コンピュータができたとき、フォン・ノイマンが、それを指して「世界で2番目に頭がいい」と言ったそうである。その時のコンピュータの能力は、今のスマートフォンより劣る。今では、スマートフォンが世の中に溢れているから、残念なことに、頭がいい人間の価値が相対的に低くなってしまう。しかし、頭がいいということはどういうことだろうか?コンピュータを指して頭がいいというのは、「計算が早く、記憶がいい」という能力を評価してのことである。確かに、「計算が早く、記憶がいい」人を指して、「あの人は、頭がいい」という場合もあるだろう。ところが、残念なことに、人間は、計算力、記憶力においては、コンピュータに負けてしまう。つまり、今、人間がやっている計算と記憶は、コンピュータにすべてやらせたほうが、経済的には、コストダウンになる。そういう時代である。けれども、「計算が早く、記憶がいい」ことは本当に頭がいいことなのだろうか?人間の本当の賢さは、何かを創造したり、人のことを思い遣れたり、考え方を修正できたり。。。そういうことではないだろうか?

さて、コンピュータを日々扱っていると、ふと、「このコンピュータに、意識ができ、心ができ、自我ができて行くのだろうか?」と考えてしまう。コンピュータを前にしてそんなことを考えるが変であれば、Asimoのよう人間型のロボットが進化したら、心や自我を持つのだろうか?と考えてもいい。そして、もし、コンピュータが意識や自我を持ったとしたら、その時に、人間のことをどう思うのだろうか?とても興味深い。そもそも、コンピュータは、人間の存在に気づき、そして、その存在が人間だとわかるのだろうか?コンピュータは、自分たちを創造した人間のことがよくわからずに、畏敬の念を抱き、創造者とよび、時に崇拝し、時に嫉妬して、時に罵ることもあるのだろうか?

こんなことを考えていると、はたして、人間が「神」と呼んでいる尊い存在とは何なのか、に改めて思いを馳せるようになってしまう。
人間は、シリコンやゲルマニウム半導体をつくり、また金属で電線を作り、そして、それらを絶縁体で覆って、組み立てた。さらに、それにプログラムを搭載させて、記憶の仕組みを実装して、スイッチを入れた。コンピュータの誕生である。その後電気というエネルギーを日々コンピュータに与えている。
神が、炭素や酸素や水素や窒素でDNAやタンパク質を作り、それをもとに、臓器を作り上げた。そして、神経網を張り巡らせた。さらに、それに、遺伝のプログラムを搭載し、記憶の仕組みを実装して、スイッチを入れた。地球上の生物はこうして誕生したのだろうか?そして、コンピュータが人間を理解できないのと同じように、地球上の生物は神を理解できないのだろうか?創造者と創造物はお互いを理解できないのだろうか?

コンピュータが、計算が早く記憶がいいことを持って能力が高いと思ったとしたら、人間のことをとても軽蔑するだろう。しかし、人間も自分たちの能力が高いと思って、何か大切な存在を軽蔑してはいないだろうか?

人間を理解することができるのは、やはり、人間です。「あの人は、私のことをわかってくれない。」と思うこともありますが、実は、私のことをわかってくれるのは、人間でしかないのです。実は、私のことを一番わかっているのは、身近にいる「あの人」なのかもしれません。

コンピュータと接していると、そんな素直な気持ちになることもあるのです。