幾何学の楽しさと難しさ

数学において、幾何学というのは非常に難しく、また非常に楽しいと思います。幾何学というのは、まさに視覚情報のための数学であり、イメージの数学であり、また、想像や空想や、直観のための数学です。数学をツールとして使っている人、またその数学自体を作っている人は、その数学に対して、なんらかの具体的なイメージを持っていると思います。そんなイメージがないまま、抽象的なことを考えるのはかなり困難なことだと思います。

理系の高校の数学を卒業する時の、一つのゴールの形は、「オイラーの等式を理解する。」ということではないかと思います。オイラーの等式とは、

という式です。
これは、大学に入学する前、私がもっとも「おどろいた」式です。本当にびっくりしました。

ここで、eは自然対数の底、πは円周率で、ともに超越数です。超越数とは、小数点以下無限に数が続く数と簡単に思っていいでしょう。超越数は、いろいろあると思いますが、このπが一番有名で身近であり、そして、その次に知られているのが、eでしょう。そして、iという虚数単位が出てきてこれまたビックリ。虚数というのは、本当にあるの?なんて思ってしまう、なかなか理解不可能な数です。そして、そんな数を組み合わせてみると、-1になる。ここで、-1が出てきて少し安心するわけですが、みなさん、中学に入学したときの数学を思い出してください。マイナスの計算ってなかなか理解できませんでしたよね。マイナスかけるマイナスは、なぜプラスになるのか?この辺から数学嫌いが生まれると思うのですが(笑)。
そんな数学の道を挫折させる「キケンな数」が総動員されて、このような等式が成り立つのです。本当にびっくりしました。

これを証明するには、オイラーの公式: exp(ix) = cos(x) + i sin(x) という式の xにπを代入すればいいのです。
ここで、eのべき関数(つまり指数関数です。)を改めてexp()と書きました。フォントのせいです。すみません。
そして、このオイラーの公式を証明するには、マクローリン展開という、テイラー展開の特殊な場合を用いて証明します。そう、微分積分の知識が必要ですね。そして、この公式には、sin、cosといった三角関数が出てきます。まさに解析のオンパレードです。しかし、このように証明されても、わたしは、ちっともわかった気がしないのです。証明で言っていることがわかっても、うーん?ほんとうにそうなのかなあ?とどこかで一抹の不安を抱いてしまうのです。

しかし、このオイラーの等式の意味を、幾何学的にイメージできて、そして理解したとき、はじめて、ああー、そうかあ!と思うことができたのです。
それは、exp(ix)が、複素平面の原点の周りの回転を表している!つまり、

オイラーの公式は、複素平面の原点の周りの回転を表している!

ということを理解したときです。
オイラーの公式をみれば、cosとsinが入っているので、何となく回転に関することだと思いますし、そして、実数軸、虚数軸をx軸、y軸とそれぞれ考えれば、それは、2次元平面での回転を示していることがわかります。そして、2次元平面の回転を理解するためには、行列という代数の考えを使うとわかりやすかったですね。ここへ来ると、さらに、代数の知識が必要なのです。

そして、まさに、

複素平面(2次元平面、xy平面)の原点を、1からπだけ回転、つまり、180度回転させたところにある数、それが、-1です。

ということを、オイラーの等式は叫んでいるのです。
さあ、複素平面の原点を回る時計の針(逆方向回転ですが)が見えますか?(これがオイラーの公式ですね。)
これが見えたとき、ああ、オイラーの等式は、こういうことだったのか!とわかったーー!のでした。

こうしてみてくると、オイラーの等式には、代数、解析、微分積分、が詰まっていて、さらに、回転としてイメージしてビジュアル化できる幾何が、それらを統一してしまっていることがわかります。

これが、近年、「図解」とか「ビジュアル化」とか「見える化」が重宝されている理由でもあります。文字情報よりも、視覚情報のほうが、何千倍も理解しやすい、それが人間なのです!そう、日本にもいい言葉があります。「百聞は一見にしかず。」まさにこのことですね。

数や記号といった文字情報より、図や絵や表といった視覚情報のほうが理解しやすい。

そこに、幾何学の面白さがあり、それをあえて文字情報で厳密に表現しようとするところに幾何学の難しさがあると思います。

今、わたしは解剖学オントロジーに従事しています。人体のパーツの見ればわかるような情報をオントロジーという文字情報で表現すること。それがやはり一番難しい問題であることを改めて思い知らせれているのです。

結局、福岡伸一先生の本ではありませんが、最終的には、世界は分けてもわからないという問題に行き着くと思います。そして、構造は、人間が幾何学化して理解しやすいように導入しただけで、所詮、人間の都合、特に、理解や情報伝達するときの都合で見えているだけでのもので、人間全員共通の幻覚にすぎないと、私は最近思っているのです。しかし、その説明はまたあらためてしたいと思っています。そこまでは、かなりの道程がありますからね。